人生は巡る季節の様に

UTMFと別府大分マラソンを目指す!ランニング人生の軌跡

人生の価値はランニングに内在する

私にとって走ることは現実世界で生を存続するための必須事項になりつつある様だ。 「何故走るのか!?」ということに対する答えは、「それは生き続けるため」としか言えない。 もし、今の生活から走ることを取り除いてしまったとしたならば、おそらく、死ぬまでの時間稼ぎだけの人生になってしまうに違いない。

確かに、東京マラソンに憧れて走り始めたのは事実だ。 しかし、同時に、残された人生に対して何かしらの最後の働きかけをするために走り出したとしか考えようがないと、今にして思う。 あるいは、また、人生の中で忘れ去ってしまっていた何かを思い出すために走り始めたと言えるかもしれない。

そう思うようになったのは、一冊の書籍を読んでからだ。

 哲学者が走る: 人生の意味についてランニングが教えてくれたこと

マーク・ローランズ著 今泉みね子訳 『哲学者が走る』 ~人生の意味についてランニングが教えてくれたこと~

この本を読んでみて、私自身の今までの人生においても、ランニングと人生自体がどうやら密接に結び付いていたのではないかと強く思うようになった。

また、既に読んでいた本。

 走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

村上春樹著 『走ることについて語る時に僕の語ること』

この本を読み返しても、人生自体とランニングが深く繋がっている生き方があり得るのだということを強く実感する。

私自身の人生についても、どうやら、ランニングは単なる趣味というレベルのものではなく、人生そのものに深く意味付けを行うものであるとしか考えようがなくなってきた。

もし無一文になって、もしくはとても日常生活が困難になったとして。 今までだったら、とても走るどころではないと思う。

しかし、ここ最近のランニングの人生に対する価値の内在性への確信をもってすると、生きている限り走ることはやめないのではないかとさえ思う様になった。

今や「何故、走るのか!?」は「何故、生きるのか!?」に等しい問いとなっているのだ。