人生は巡る季節の様に

ランニング人生の軌跡

今の人生の中心は何か

人生の様々な過程において、その時々の年代におおかた必要とされる優先課題というものがある様に思う。 一般的に考えてみても、学生時代の求められる本分は勉学であり、その終盤からは社会に出て経済的に独立するための就職活動が強く求められることになる。そして、人は特に近親的な世界からは結婚して出産・子育て等が強く希望・要請されたり、経済的安定が求められる。人生の晩年には世の中を主導している世界からは距離を置き、できるだけ静かに去り行くことだけが最後に残された人生への取り組みになるのかもしれない。

人生にはその時々に一番力を集中できることがそれぞれ異なるものと思われる。また関心も違うであろう。 それは各レベルにおける課題をクリアしたらその次の課題に直面するかの如く、次から次へと緩やかに人生の取り組む対象が移り変わって行く。

これにはおおかたの規則性があるだろうが、人それぞれの人生毎に唯一性がある。千差万別。人生は全て異なる。 しかし、人生には「今の人生の中心に何を置いているか」と言うことを意識しなくとも、今一番力の尽くせる物事が必ずあるはずである。趣味的に何に一番関心があるかではなく、自分の人生の過去から未来に向かう一筋の直線上に配置していると言える物事である。

個人的に過去を振り返れば、私の人生の中心はそれを意識するようになってから、「学問」→「経済的自立」→「組織支配からの脱却」と移り変わって来ている。 そして、50歳にさしかかろうという今現在は「如何にこの世の中から消えていくか」ということが思考の中心に置かれている。これは自死を意味するものではなく、どうしたら本当に悔いのない人生を送れるか、人生の最後までに何をするべきなのかをいよいよ具体的に考えなくてはならない時が来たと実感していると言うことである。

確実に終わり逝く人生において、人生を意味あるものとして捉えるためにあと数十年の間に一体何をするべきなのか。何をすれば悔いのない人生となるのか。これを真剣に日々考えていかなければならない時が来ている様な気がしている。

現在の一番の関心事である「ランニング」について、果たしてこの人生の中心に相当するものかどうかは分からない。しかし、現在のところ「UTMFやUTMBを完走したい」「トルデジアンに出たい」という希望・願望よりも強いものがないとも言える。この考えは単に趣味を充実させた人生を送りたいとも単純に捉えられないと思う。少なくとも残りの人生において今一番達成したいと思っていることがエンデュアランス系ジャーニーランであり、世界のウルトラトレイルレースへの参加であることは自分の中では明白な事実となっている。

20代、30代の頃によく考えていた、「仕事で自己実現をしたい」という思いは今は一切ない。 また、物質文明を謳歌したいという気持ちもさらさらない。逆にできるだけ物は持ちたくないと思っている。 富や名声に関しても余り関心はない。社会を自分が変革したいとも思わないし、人々の考え方を変えたいとも思わない。あと数十年を静かに暮していければそれで良いとも思う。

自分の人生の意味を捉えながら自然の中を走り続けることこそが、今の自分らしい様な気もしている。 人生は精一杯今できることを行い続けていればそれでよい。生きられる所まで生きられればそれでよいと思うのだ。