人生は巡る季節の様に

UTMFと別府大分マラソンを目指す!ランニング人生の軌跡

2015チャレンジ富士五湖100kmの結果

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(スタート4:45前の富士山。富士北麓競技場より)

チャレンジ富士五湖100kmの部に昨年に引き続き出場した。
正式名称はチャレンジ富士五湖 FUJI 4LAKESの部に今年から変わったのだが、何故だが新しい名称を積極的に使いたくない気持ちがする。

昨年の100kmは制限時間の約8分前にゴールした。80kmから急に脚が思うように動かなくなった記憶がある。80km以降は速歩をベースに所々に走りを入れたという方が正しい表現だろう。とにかく80km以降は走れないので精一杯速く歩いた。
95kmステラシアター以降も速歩を続け、どうにか完走した。

今年は関門が厳しくなっていた。
80km地点までは決して気が抜けないことと判断し(昨年より1時間も80km関門時刻が早い)、前半からのんびりはしていられないと思った。
その結果ついついオーバーペース。最初の10kmはキロ6分を切っていた。その後ペースは一旦意識的に抑えたが、第2関門以降の船津登山道から河口湖畔までの下りを勢い余って駆け下りてしまった。

そのことが中盤以降、脚が止まる原因となったようだ。
50km地点までは昨年のタイムをそこそこ上回り、13時間は切れるかなと思わせたが、やはり50kmを超えてからは徐々に両脚に異変が起きてきた。
昨年の80km以降に脚が止まった時と同じ様に走ること自体が苦しくなった。
今年は50kmから歩きが入るようになってしまったのだ。

昨年は脚が止まっても下りの走りと平地や上りの速歩はそれなりに機能していたのだが、今年は40km以降の船津登山道の下りのロードで脚を破壊してしまったらしく、とにかく今度は下りを走るのが辛い。また、平地と上りの速歩も辛くなった。

また昨年との比較で言えば、脚が破壊されてからおかしなことに今年は平地の走りが一番まともだった。しかし、昨年の歩きよりは遅かったかもしれない。とにかく今年は脚が思うように動かなくなった後も走った。脚が元気な時の歩きよりは遅いが。

今年の厳しくなった80km関門も何とかクリアした後も歩くことはほとんどなく走れた。しかし、昨年のデータと比較すると昨年の歩きベースの方が速い。
そして、95km以降の今度はステラシアターから船津登山道の上りも昨年の方が速いという結果だった。

今年はできる限りエイドステーションには長居はしない方針で最初から進めた。
おそらく、その影響だけだと思うが、昨年より12分ほど速いタイムでゴールした。(13時間40分)
走りに関しては昨年と大して変わりはなかったであろう。

トレーニング量に関して言えば、昨年の方が多いと思う。
今年は関門が厳しくなったゆえの最初のオーバーペースとコースが変わったことによる中盤下りロードでの脚へのダメージによって、50km以降に徐々に失速したものの、何とか制限時間までにはゴールできたという感じだ。


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(山中湖からの富士山)

自分にとってのウルトラマラソンの意義を考える。
ウルトラトレイルへ向けてのスタミナ強化という位置付けで捉えていたが、トレーニング不足で走る100kmウルトラマラソンは単なる体力消耗に過ぎないのかもしれない。

十分な冬の走り込みを前提にその確認として走る春先のウルトラマラソンなら意義深いが、そうでないウルトラマラソンであるならばどんな頑張って完走しても、そこからの進歩がないと思える。

この2年間の2回のチャレンジ富士五湖100kmはとにかくウルトラマラソンを体験するという意味では価値あるものであった。
どんなにトレーニング不足であってもそれなりに完走するということを体感した。
しかし、もう1度繰り返す気にはならない。もし、来年もこの100kmを走るのだとしたら、ある一定レベルのトレーニング量が前提となる。このレースでスタミナ強化をするのではなく、秋・冬のスタミナトレーニングの成果確認としてのウルトラマラソンでないとならない。

このチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンのエントリー時期は10月であろうが、もしその時にエントリーしたのならば己に鞭打って十分なスタミナトレーニングを前提にレースを迎える必要があろう。

そして、そこからしか100マイルのウルトラトレイルへはつながっていかないと思う。
少なくともトレーニング不足で走るウルトラマラソンは今回が最後である。


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精進湖からの子抱富士。ミツバツツジが綺麗だが富士山頂が雲に隠れた。)