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UTMFと別府大分マラソンを目指す!ランニング人生の軌跡

STY2015を思い起こす

[caption id=“attachment_1212” align=“alignnone” width=“640”]STY2015 2015年のSTYのコースマップ[/caption]

昨年2015年9月26日(土)-27日(日)に開催された第4回ウルトラトレイルマウントフジのSTY(静岡から山梨へ)に出場した。2012年の第1回大会のSTYにも出場しているが、この時は途中の関門でタイムオーバーによるリタイアをしている。この3年ぶりの出場では何としても完走することを目標に出場した。

1年経った今更ながら思い起こすと、STY2015は最初から最後まで雨模様の中のレースとなった。雨模様と言っても雨が降り続けた訳ではなく、曇り空と霧の中を延々と進んだというイメージである。結局、富士山が姿を現すことは無かったと思う。そして、悩まされたのがぬかるみの登山道であった。私の様なボリュームゾーンを行く者は、UTMFの人達、及びSTYの選考する人達にある意味荒らされた登山道を進まざるを得ず、特に前半は気になっていた。雨の時ほど不整地は走りにくいものはなかった。

雨の時のトレイルランは、特に距離が長ければ長いほど、忍耐の連続である。正に我慢レースだ。速いトップランナーは自分の力量のみで先に進み雨の中にいる時間自体ランナーの中の誰よりも少ない。しかし、ボリュームゾーンにいては自分でコントロールできない要素が徐々に増えてきて、ただただ雨の中の時間との戦いとなるのだ。最悪の状況を楽しむことが必要になるのかもしれない。

持久系のレースに関しては今までのトレーニング内容通りの結果になる場合が多い様に思う。トップアスリートについては、トレーニングレベルにそう変わりが無いであろうから、その日のパフォーマンスはその日のコンディションや体調、調整具合などの要素によるところがあるとは思うが、一般のランナーのその日の結果は今までのトレーニング量に大きく依存するのではないだろうか。

STY2015の私の場合の様にトレーニング不足であればそれ相応の結果となるだけのことだった。レース当日にできることはただ一つ、無いなりの力を最大限出し切ることだけである。トレーニングを余りしてこなかった分、レース当日に思いを込めて遣り通すことしかない。

STY2015の場合では、スタートの富士山こどもの国を出た所から渋滞が始まった。林道から登山道に入る所での大渋滞だ。その上、登山道に入ってからはぬかるみ通しの悪路が続く。別荘地を抜けて富士山資料館まで一旦下ってくるが、そのルートも水浸しの草原を走るという感じだった。もうその時点で結構ダメージを受けていた。富士山資料館から太郎坊まで登って行く訳であるが、その途中でもう既に脚が死にかけていた。その時点で関門時刻が延長されていたが、とにかく進むしかなく、各エイドステーションでの滞在時間を最小限にして、歩きながら休むつもりで次を目指した。

須走までの下りで日が暮れた。私の場合は、夜間走行になると元気が出てくる様でこの区間は結構心地良かったかもしれない。須走エイドを出た後の上りで脚がもう死んでいるのを感じた。後ろからどんどん抜かされる一方で、完走ペースではあったが、その先どうなるかは全く予想できなかった。ルートが変更された山中湖への下りのロードで調子を取り戻したかに思えたが、山中湖キララを出た後の石割山への上りでまた失速。その後、杓子山山頂までは前後に人もいなくなり霧と暗闇の中を坦々と進むだけだった。

杓子山からの下りは調子良く走れた。上りで抜かれて、下りで抜かすということの繰り返しだった。富士吉田のエイドステーションを出た時には、感想まではまだ若干余裕があった。無難にいくことができれば完走できる見込みであった。しかし、霜山への上りでもう脚が思う様に動かなくなった。後ろからどんどん抜かされて最後尾まで落ちるのではないかと思う位だった。(事実そうだった。)

闇があけて明るくなるにつれ、完走は無理かもしれないという思いが強くなっていった。フラフラのUTMFのランナーにも抜かされ、もうダメかと思った。霜山を上り切った時には半分完走を諦めかけていた。しかし、残すは河口湖畔までの下り区間のみ。下りなら走ることができる。とにかく最後まで諦めずに河口湖畔まで駆け下りた。途中でUTMFのランナーを何人も抜かした。ものすごい勢いで下って行ったので、皆さん道を空けてくれて、「そのペースなら完走できるよ!」等と声をかけてもらったりした。

河口湖畔まで下ってきた時には、おそらくSTY制限時間数分前に完走できるのではないかと思えた。もう走れないので、後は河口湖畔を早歩きで進んだ。沿道からは「完走できるよ。」という声を何度ももらってゴールの八木崎公園を目指した。河口湖大橋を下りた所で、完走を確信した。ゴールした時には制限時間1分を切っていた。フィニッシュ後、鏑木さんがマイクを向けてくれたが「ありがとうございました。」と言うのが精一杯だった。もうその場に倒れ込みたかった。次に福田六花さんが握手を求めてきてくれたのに手を差し出すのも精一杯。その場から中腰のまま動けないのを見ていたドクターが椅子を持ってきてくれて一旦座り、何と医務室へ運ばれた。

ベッドに寝かされ、血圧を測った。普段から血圧は低いのだが、更に低くなっていた。医師に「低血糖・低体温症」と言われた。とにかく、体を温めるためにザックからレインウェアを取り出し着させられた。そして、糖分補給を進められた。しかし、何も口に入れたくは無く、水を飲むのがやっとだった。結局、点滴を受けた。

ベッドで横になっている間に、UTMFのラストランナーがゴールして、閉会式が始まった。私はその様子を寝ながらマイクの音声だけ聞いていた。点滴が終わると、どうにか体が動くようになり立ち上がることができた。振り返ると、エイドでは出されているものを食べたが、区間の途中ではエネルギー補給を全く行っていない。また、特に山中湖から富士吉田の間の山中で体が冷えたかもしれないことを思った。朝方は寒さを感じながら、半袖で最後まで通したのが体を冷やしたのだろう。

今からにして思えば、ギリギリの完走だったが、結構面白い20時間だったと思う。おそらく、やろうと思っても二度と同じことはできない。その後、作成されたDVDには私のゴールシーンが数秒だけ映っていたが、ものすごい苦しそうにゴールしている。次は楽に余裕を持ってSTYを完走したいと思う。2017年のSTYへエントリーを目指したい。