人生は巡る季節の様に

ランニング人生の軌跡

富士登山競走の魅力を考える

移住するきっかけとなった富士登山競走

東京から現在の富士河口湖町へ移り住んだのは富士登山競走がきっかけだったと言っても決して過言ではない。しかし、富士登山競走のために移住したのではなく、富士登山競走に出たが故に富士北麓へ移住することになったのである。

2011年3月11日の東日本大震災の発生により、その年それ以降のマラソン大会が次々に中止となっていった。私がエントリーしていた3月の板橋Cityマラソンと翌月4月のかすみがうらマラソンも開催中止となった。そして、エントリーはしてはいなかったUTMF/STYも中止となった。(その後の翌年再募集のSTY2012にエントリーしている。)しかし、2011年の富士登山競走は、7月ということで開催に漕ぎ着けている。私は2011年の富士登山競走の開催を信じて、その年の3月22日に始めて五合目コースにエントリーしている。今から思えば、よくぞクリック合戦を勝ち抜いたものだと思う。

そもそも、何故、富士登山競走に出たいと思ったのか。東京マラソンに魅せられてフルマラソンのトレーニングを始めた頃は富士登山競走には余り関心はなかった。しかし、徐々にトレイルランニングへ興味を持ち、富士山一周のUTMFの構想が明らかになるにつれて、富士登山競走にも関心を持ったのだ。

一方で、東京を離れ地方へと移り住むことを考えていた。その候補地の一つは富士山麓だった。その富士山麓を頻繁に訪れるようになり、霊峰・富士を目の当たりにするにつれ富士登山競走への憧れも強くなっていった。そして、2011年についに五合目コースへのエントリーに成功することになるのだ。富士登山競走・五合目コースは何とか山頂コースの出場権を得て完走できたのだが、五合目コースが終わった後に参加した富士河口湖町主催の田舎暮らし体験講座で出会った人のお世話になり、実際にはその一年後には富士河口湖町に移り住むことになる。

富士登山競走へは過去2回出場した

2011年の富士登山競走・五合目コースは山頂コースへのエントリー資格を取得することを目標としていた。当時の山頂コースの参加資格は五合目まで2時間30分以内のタイムでの完走が必要だった。そして、実際の山頂コースの五合目関門がスタートから2時間20分だったので、参加する五合目コースの目標を2時間20分以内としていた。

当時はまだ東京に住んでいたので、トレーニングは平地でのロードが中心となる。近所の荒川河川敷を走るしかなかったが、気休め程度に土手の坂道や公園の階段を昇ったり降りたりする以外には富士登山競走のためのトレーニングはできなかった。今まで富士山に登ったこともなかったので視察は必要と思い、一度は馬返しから五合目までを普通の登山、二度目は富士山駅から五合目までを往復したのだった。そして、二度目の試走の中ノ茶屋の手前で、既にこの富士登山競走の過酷さを思い知った。これは普通のレースではないと。

2011年の富士登山競走・五合目コースのレース本番は、順当に行けば2時間20分前後で完走はできそうな感触を予め持ってのスタートだった。そして、初参加なりの気楽さもあった。まずは馬返しまでは歩かないことを目標にしていたが、やはり馬返し手前の上りが急になってくるところで歩いてしまった。馬返しから登山道に入るところで渋滞が始まり、あとは流れに沿っての展開となる。しかし、前の人の後ろに引っ付いて上っているだけでは思わぬ失速を招くと思い、スペースができたら追い抜きをかけるということを繰り返して前に進んでいった。まあ、五合目コースの中盤からのスタートとしては、それが精一杯のレース展開であったと思う。

2011年の五合目コースでは2時間21分でゴールして、翌年以降の山頂コースのエントリー資格を得た。しかし、2012年はエントリーせず、2013年に現在の富士河口湖町へ移り住んだ後にエントリーするに至った。2013年は目と鼻の先に富士山がそびえ立っている環境での山頂コース出場となった。レース本番前には何度か富士山五合目から山頂までの試走を繰り返し、自分なりに山岳対応は十分できるとの見込みであった。2時間20分の五合目関門をギリギリでもクリアできれば、そこから何とか本八合目の関門、そして、ゴールの山頂と制限時間ギリギリで到達できるのではないかという期待を持ちながらスタートラインに立てる状況ではあった。

スタートはCブロックの前方に陣取って、Bブロックの人をかわしながら前方へ這い上がることを想定していた。そして、五合目を過ぎてからが本当の勝負だと心に決めてスタートを切ったのだった。しかし、想定外の事態が待ち受けていた。北口本宮富士浅間神社までは快調に進んでいったが、中ノ茶屋に向かう上りのロードを走っている最中に妙にスピードが上がらないことに気が付く。脚の動きが鈍い。そして、今までは追い抜いてきたのに今度はどんどん抜かれていく。中ノ茶屋を過ぎて、坂道の勾配がきつくなるに従って、更に失速し、既に思う様に走れなくなっていた。余りに遅過ぎる。後ろからどんどん抜かれ、最後尾になるのではないかと思うくらいだった。そして、馬返しに到着したのは、2011年の五合目コースの時よりもかなり遅かった。そして、そこからは五合目関門まで挽回すべくペースを上げた。速歩でガシガシ進んでいるうちに、気のせいか少々調子が出てきたようにも思えた。でも、五合目関門はもう無理かなと思わざるを得ず、とにかくできる限り前に前に進むことしかできなかった。

そして、滝沢林道に出た所で2時間20分が経過した。その後はもう惰性で五合目まで到着し、2時間24分台だった。結局、馬返しからの追い上げも無理だった。その翌年の山頂コースのエントリー資格の2時間25分はクリアしたが、ようやく体が動いてきた時で、よしこれから山頂へ!という調子だったので非常に残念だった。その年の失敗の原因は、明らかにロードの練習不足だったと思われた。2013年は確かに山へは向かったが、ロードを走ることが激減していたのだ。それも坂道を走るくらいなら、山登りをしていた。馬返しから先は自信があったが、トレーニングで馬返しまでのロードを走ることは全くなかった。馬返しがスタート地点だったら善戦できていたかもしれない。

とにかく、2013年の富士登山競走・山頂コースは五合目関門を突破することができず、惨敗だった。その後、エントリー権はあったもののエントリーには至らず。もし、再度エントリーすることがあるのであれば、五合目コースから出直すことを考えていたが、その時はまだ来ていないし来るとも限らない。今後、五合目関門が2時間10分となれば、ますます五合目エントリーから再挑戦する機会はなくなっていく。しかし、完全に諦めてしまった訳ではない。

富士登山競走の魅力

富士登山競走の魅力は、日本一の最高峰の山に駆け上がるということもあるが、富士登山競走自体がどのカテゴリにも属さない独特のレースであるということにあると思う。ロードレースでもなく、トレイルレースでもない。ロードレースの一面やトレイルレースの一面もあるだけでなく、標高3000mの山岳対応も必要となる。五合目以上の登山道には岩場があったりと、あらゆる総合力が必要となる。スピード、筋持久力、心肺能力、高山病にならない山岳対応力などが求められる。

富士登山競走の一番の魅力は、レースに対応するための様々な能力を身に付けるための機会があるということの様の思う。フルマラソンで言えば3時間30分程度の実力が必要とされ、登山道を一定ペース以上で上り続ける筋持久力も身に付けなけばならないのだ。平地を走るスピードだけあってもだめで(もちろんスピードがなければもっとダメ)、坂道を登るスピードもないとならない。更に、標高3000mレベルでも高山病にならずに体を動かし続けられる山岳対応力がないとならない。

これらの様々な富士登山競走のコースのシチュエーションで、それらに対応した能力を発揮し続けないと4時間30分以内の完走まで至ることができないのだ。逆に言えば、それが魅力となるのではないだろうか。フルマラソンのシーズンに持久力を磨き、春先から坂道ロードを駆け上がる筋持久力を磨く。そして、坂道ロードから登山道へと移り、夏山シーズンには3000m級の山岳対応力を磨く。これら全てに対応する機会を与えてくれるのが富士登山競走である。

富士登山競走の最大の魅力とは、夏の富士山の頂に到達するための多様な環境に対応するために一年かけて取り組むことにあるのかもしれない。そして、自分自身の持てる全ての総合力を持って挑戦し、力を発揮できる機会を与えられることであろう。更に、完走を果たし山頂で実感する清々しさこそが、最高の魅力と言えるのかもしれない。